革命代替についての苦言

演出についての苦言です。いやなこと書いてます。見たくない人はまわれ右でお願いします。
自分の革命後、みなさんのレポをみながらずっともやもやしてたものがあって…それは、演出が途中でコロコロ変わっていること。
私は初日から三日間革命を見て、面白かったし楽しいと思ったしこれが革命なんだと思った。それが今やまったく別物のようにすら感じる。もちろんストーリー展開として大筋は変わっていないのだけど、細かい部分に変更がありすぎじゃないのかな。だいぶ経った頃、ロープアクションがなくなったのが最たる疑問。なぜ3年目の今?しかも公演期間中になくす必要があった?初日からもっと完成した状態で出せなかったのか?時間が足りないのなら、毎年のことなのだから早くから詰めてやるべきではないのか。いくつもいくつも疑問が渦巻き、しこりが残っていく中、ゆうまくんが怪我をして演出の変更があった。
けがや病気は仕方ない。誰だってする可能性はあるし、いくら気をつけていても免れない場合もある。ただね、ゆうまくんが出れない間に、数日ふみきゅんが代わりにロープおりをやって、ゆうまくんが復帰したらその役割がゆうまくんに戻ったこと、この演出がどうしても腑に落ちない。
もちろん、信頼が厚いからふみきゅんは代わりを任されたんだろうし、それはそれで嬉しいことだというのもわかってる。そのチャンスをものにしたふみきゅんが誇らしくもある。それはそれとして、序盤のロープおりってそれほど重要なシーンじゃないのでは?ストーリーの流れとしては、削ってもよかったんじゃない?削らないでふみきゅんを代役に立てたのは、演出上ふみきゅんで行こう!ってなったからなんじゃないの??
最初に私がみた河合は、どう多めに見積もっても「最高の気分だぜ!」なんていう人には見えなかった。「帆柱は俺の命」も静かに穏やかに言うような人間が、そんなぶっとんだセリフ言うかな。言わないでしょ。それもう私が見た河合とはまったくの別キャラで、その時点で河合には2パターンのキャラがいたということになる。そこまで演じてきた穏やかな河合から、まったく新しい河合を作りださなきゃいけなかったんじゃないの?
どういう意図で、このシーンを何度もスイッチしたのか、どれだけ考えてみても私には怪我の代役だったという答えしか出てこない。ふみきゅんが約1か月かけて作ってきたキャラを変えてまで、代役を立てる程のシーンだったのかな。そこまでして付け加えたシーンだとしたら…それは最後までやりとおした方がよかったんじゃないのだろうか。私の中にいたおだやかで静かな目をしていた河合は、突然行き場をなくしてしまったよ。どっちの河合がいいかではなく、もうそれはまったく別物だよという話。同じものを魅せ、同じ感動を与え続けるのもプロじゃないのですか。

もうひとつは割と重要なシーンだと思った、革命軍と王妃軍(ミスノはしー)の口論シーン。なべしょ欠席の回は、ふみきゅんが代役でしゃべったと聞いた。ここも、最初はふみきゅんすごいな!と感心したけど、よくよくかんがえると別にふみきゅんじゃなくても革命軍の誰かがこのセリフを言うこともできたはずじゃないのかと。このシーン、若い子たちだけでやってるのが、逆に鬼気迫るような感じがしてとても好きだったし、一緒に魚を捕ってる様子もこの9人だからこそ頭に思い描けていたのに。

上手く言えないけど、、、出演してる本人たちも怪我をした子たちも舞台を頑張ってやってるのが伝わってるからこそ、きちんとした意図のないその場しのぎの演出をされることが、私は多分、悔しいんだ。
せっかく好きだった革命が、なんだか色褪せてきてしまった。